―繋がりなんて1つもない。 そう思っていたworld:【世界[3]】がworld:【AgroPulse】に集約され、全てが繋がっていく。
world:【AgroPulse】
-アグロ・パルス-
GrantGeliaが創り上げた仮想世界。
人間の化学で作り上げた、世界で唯一無二の
人工的な―世界線。
world:【GaiaOnce】
-ガイア・ワンス-
現在の我々が住む世界線。
近代科学。その金字塔を打ち立てた偉人達の
生きてきた世界。
world:【SiricaUI】
-シリカ・ユーアイ-
「神」や「妖精」が現存しファンタジーの世界線。
信仰の力がTYPEとなり異質な力を手に入れる。
TYPE
キャラクター
type:【アパルサー-APS-】
name:【DEBUGDATA:ver.001-004[005]】
birth:【AgroPulse】
[1]
最先端のAI技術を用いて生活に投影させていく企業。
GrantHeliaの研究チームに務める2人の主任。
name:【ムラセ・トキトウ】とname:【ニア・フィレンツェ】
超機密企画:ProjectA.Pの礎として、AgroPulseの世界を創る為の実験体としてアパルサーは誕生した。
全てで5体のアパルサーが作られ、実際に稼働しているのはその内の4体である。
1体は没DataとしてAgroPulseのデータの奥底で眠っている。
ショートストーリー
サイバー
始まりと試練[1]
[1]
サイバーは命を蝕まれていた。
【心雲】という人の心の曇りを増幅させる神の悪戯に、今まさに苦しめられていた。
視界が眩み、呼吸の1つさえもおぼつかない。次第に歩く事さえ容易ではなくなる。少女は、額から吹き出る汗になど構う暇もなく、ただ前に進むことだけを考えていた。
息を荒く切らしながら、その暗き森にひかれた足元の悪い砂利道を歩いていく。
上空では、何の生物かもわからない黒き物体がけたましく声を上げながら舞っている。
誰かの死体を漁りに来たのか。
それとも、時期に命を失うであろうその少女の最後でもを見届けに来たのだろうか。
どちらにせよ、衰弱しきっていたサイバーはそいつらにとって格好の獲物である事には違いなかった。
構っている余裕などなかった。
きっと今歩く事を諦めたら、もう再び立ち上がる事は無いだろう。
きっと今生きる事を諦めたら、もう二度と生きる希望を見出す事は出来ないだろう。
だから少女は、その重りがかかったかのようにして歩く足を止める事は出来なかった。
「お母さん...お父さん...」
ここに来るまでに、何度この言葉を嘆いただろうか。
何度呟いたって戻りはしない。
事実が変わる事なんて決してない。
もう大好きだったあの頃は戻ってこない。
それでも時折呟いてしまうのだ。
「家族」との日々を、思い出しては嘆いていくのだ。
「っあ...」
砂利道に出来た小さな溝か、それともただ無造作に転がっていた木々の破片か。サイバーはいつもなら気に求めない小さくも大きな障害に躓いた。
「...っ」
もう何十分もこの辛く長い一本道を歩いてきた。
一歩一歩にかかる苦痛は計り知れなかった。だけどもその足を止めてはいけない事だけはわかっていた。
だが、サイバーはついにその足を止めた。
もう動かなかった。
体は愚か、指の先の末端まで。
「...行かなきゃ...」
土をかき分けるよう、指を動かす指令を脳に送る。無理だった。
小粒な砂さえ持ちあげる力も残されていない。そしてその程度の力も無いようだったら、もう一度自分の体を起こす事なんて不可能だった。
「いか...なくちゃ...」
辺りは、ぽつぽつと小雨が降り始めていた。
サイバーの涙か、それとも流れ落ちた汗なのか。何もかもが分からないまま、その雫は地面に落ちて消えた。
[2]
[2]
ぼんやりと蘇っていく記憶。
母から今日は紹介したい子がいる事を告げられ岐路に立った。
どうやら一人子供を引き取る事になったらしい。
名前も顔も知らないその子に不安を覚えながらも、新しい家族が出来る事に楽しみもある。
サイバーはその子を引き取りに、スラム寄りの孤児院にへと向かった家族の帰りを一人家で待ちわびていた。
だが、どれだけ経っても家族が家にへと帰る事は無かった。
サイバーは、部屋に置かれた写真立てに移る三人の家族の姿を見る。
「...もしかして暴れん坊な子なのかな...」
少しでも人手がいた方がいいか。
とにかく様子を見に、サイバーはスラム街方面「ブランドガイス」へと向かった。
街通りからは少し外れたスラム寄りの荒廃した街並みで、サイバーは両親からは立ち入ることを禁じられていた。多くの家族をや職を失った輩がはびこっている為、文字通りの危険さを醸し出している。
空気は、どこかどす黒く重い感じがしていた。
「...ええと...孤児院...孤児院...」
孤児院へ行くには確かこの道を行くはずだ。
壁に挟まれた圧迫された道に沿って、消えかけた街頭に時折目をやりながら進んでいく。
「...え」
危険だとはわかっていた。
だが、それはあまりにもその立証が根強く。確実性を増すものだった。
サイバーは目を疑った。
だが何度視界を遮っても見える世界は何も変わらなかった。
孤児院にへと続く道。
そこに忽然と現れたのは体を切り刻まれた何人もの死体が積み重なった、遺体の山だった。
もう誰のものかも分からない人間の手足が乱雑に絡み合い、化学オイルと流血にまみれた地面から、積み重なるように上へ上へと連なっていく。
その死体の山に添えるようにしておかれたある二人の姿。
「...ぁ...」
人間はここまで惨めで残酷な姿に変貌出来るのか。
見違えてしまえばよかった。見間違いなら幸せだった。
その二人は、そう思えるくらいには変わり果てた。
サイバーの、両親だった。
サイバーは体内の奥深くから込み上げてくる何かを必死に抑え込みながら、千鳥足でその二人の元にへと寄っていく。
赤。青。と貧血のようにちらつく視界にぼんやりと見えてくる二人の影。
父は、四肢の中で唯一残された右腕で、母の背中に手を回し、
母は、もう言葉に出来ないくらいの悲惨な姿で、元人間と呼ぶに相応しい有様になっていた。
サイバーはもう、何の言葉を発すればいいのかが分からなかった。
呆然と立ち尽くし、へたりと膝から崩れ落ちる。風に揺れ、消灯を繰り返す街頭の明かりは、サイバーの影とその死体の山を重ね合わせていた。
「...ああ...」
ふと死体の山と思っていたそこから、何者かの声が漏れていた。サイバーはその声の主をよく知っていた。
「...お父さん...?」
「リ...エ...」
「...お父さん!?生きているの!?」
人間からなされる虫の息とはまさにこのことだろう。
だけどその微小な音の振動は、確かにサイバーの耳に届いた。
父は口を動かしたが、目を開けることは無かった。だが親がもう何年も寄り添ってきたその声の主を間違うはずもなく、暫しの静寂の後、父は小さく微笑んだ。
「お父さん...!しっかりして...今、お医者さんを呼ぶから!!」
サイバーがそう必死に呼びかけるが、か細く笑うだけで何も返答がない。
「だめ...やだ!死んじゃ嫌だ!!」
まるで駄々をこねるようにして泣きじゃくるサイバーとは対照的に、父はずっと、そんな子供を見守るようにして、優しく微笑んでいた。
「どうして...なんでこんなことに!!」
必死に2人を抱きしめていたサイバーの体は、父と母の流血で真っ赤に染まっていた。
[3]
[3]
「無様なものだな...命というものは」
空を禍々しく取り巻くようにして突如低く響き渡ったその声に、サイバーは体をぴくりと揺らした。
誰かが、背中にいる。
「だ...だれ...」
直感的に感じた。本能からから生み出された「恐怖」という二文字。
その謎の声は、そんなサイバーの感情とはお構い無しにその質問に律儀に答える。
「我が名は【poisonmad・hydra】。毒を操りし、絶望を赦す神...」
毒...神...。
訳が分からなかった。だが、その言葉の真意を確かめようにも体が硬直して言うことが効かない。デバフのスロウを受けたかのような。または、毒の蓄積ダメージを受けているかのような。後ろを向こうにも、本能がそれを拒んでいる。
人間の足音にしては重々しく、生生しい。そんな音が響く。
「まだ息をしている者がいるか...あれだけの残虐だったのにも関わらず本当に人間というものは生存本能だけは確かに強く持つようだ...」
べとり。と、何かの液体が落ちる音も聞こえた。
「人間の命も、砂時計が刻々と下に落ちていく原理も、姿形は違えど辿る道は同じで等しく下らない...。実につまらんものだ。本当に、運命に抗えぬ力無き者というものは...」
心臓を直接鷲掴みにされ、体の身体機能を掌握されたかのような息苦しさを感じていた。
息を飲むのが一苦労で、体が金縛りにあっているかのように動かない。蛇に睨まれているとは、こういうことなのだろう。
「お前の両親は、我が新しく目覚めさせた新たなTYPEによって殺された。
光栄に思うがいい。力を証明する為の尊い犠牲だ。きっと奴らも地獄で喜んでいる事だろう」
「...とうといぎせい...?じごく...?」
「恨む事は出来ぬだろう?」
瞬きしている事さえ忘れるくらいの恐怖が体をまとわりついて離れない。
一歩一歩。着実に何者かがサイバーの後ろにへと迫っている事が直感で分かっていた。
「我は生きるかどうかの選択を奴らに与えた。まずはTYPEが抱えている体の異変を感じさせるための猶予を与え、それからそのTYPEに抗う為の時間さえも与えた。だが、」
だが。
「その絶好の機会さえも奴らは無駄にし、落としいられたと神を冒涜しながら、最後は己の無力さを呪い力尽きた。
奴らは不条理でも理不尽でもなく、ただ失って当然の物を当然の刹那で失った。ただ、それだけの事だ」
サイバーは両親を見つめながら、汗と血で滲む手の平をきゅっと握った。
「貴様は...そうではないのか?」
蛇の舌が肌を舐めるような。
不気味な禍々しさがまとわりつく。見られていないのに、すぐそこで何者かに見られている。いないはずなのに、そこにいる。
体のもつ感覚全てで、その何かの視線を痛々しく感じている。
「人間は実に愚かだが等しく利用価値がある。そう、神を信仰し己の生きる力として崇め奉る。ただそれだけでいい。それだけで、人間は存在する価値があるのだ。
心雲で無差別に人間を従わせ、信仰を膨大化し率いる事をすれば、我は自ずと神々の頂点に立つ事さえ容易になろう。だが...」
じわりと流れていた生ぬるい風に乗せられ、のど元に細い何かがこつんと当たった。
「我は力なき者は...嫌いだ」
思い当たるだけの負の感情が一挙にして湧き出てくる。
サイバーは悟った。
この謎の何者かに、自分は関わってはいけないと。今すぐここを離れるべきだと。これ以上、奴の話を聞いていては危険だと。
「逃げろ...」
「さて...」
父の声とその謎の声が重なる。
「やつが侵されているのは心雲という神からの人間への冒涜だ。
人間の心から暗闇を立ち込めていき、最後は己の憎悪と嫌悪にまみれてこの世から消えていく。そういった神からの贈物だ。
だがその怪我だ。何もしなくても直に奴は命は落とすだろうが」
首元にかけられた固く細い何かは、つーっと首元を這っていく。
「もしも...貴様が仮に、我を消し去る程の力を持っているとしたら、奴から心雲は解かれ、医者の治療によって命を取り留められる可能性くらいは見えてこよう。最悪でも、心雲によって苦しめる事無く最期を向かわせられるかもしれん。さあ...」
サイバーの耳元に、こそばゆく温かい息を感じた。
「逃げて奴を殺すか...我を殺すかだ」
[4]
[4]
父は、まだ生きている。
いきなり戦えだなんて、得体も知れない正体の敵に背けるそんな力が、自分にある筈もない。父から小さな息はある...。
医者だ。今は父を助ける事が先決だ。
「お...お医者さんを...呼んでくる...」
そう何とかして呟くと、
サイバーは錆びついたような体をなんとか奮い起こし、体を翻した。
「...!!!!」
そして見てしまった。その声の正体を。
「そうか...やはり貴様も...」
毒々しく禍々しい。その声の主は、傷だらけの毒の龍だった。
不器用に畳まれたその翼はボロボロに引き裂かれ、深緑を基調にした鱗は闇に漏れてくる光に照らされ、オイルのように七色に光っている。
骨が体の随所からはみ出しており、ポタポタと体に刻まれた傷から毒らしい液体が漏れ出している。
「狂気」というのに相応しいその龍の姿は、自分の知っているただの龍などではなく、この世ならざる何かが姿形を借りてなんとか現存している。
そんな解釈をするのが正しいと思える程だった。
poisonmad・hydraは怪しげに口許を引き上げた。
「ほう...我の姿を見て声を上げなかったのは貴様で二人目だ...。恐怖で声すらも出ないというのが正解かもしれないがな...」
ギタリと不気味な歯茎と、鋭い牙を見せつけた。サイバーは小刻みに体を震わせながら、ようやく言葉を発した。
「こ...怖くありません...」
サイバーの予想外の言葉に、ポイズンヒドラは首を傾げる。
手を重ねながら、震える体と声を抑え込んでなんとかして叫ぶ。
「わ...私では、貴方には太刀打ち出来ません!だから、父を救うのは私であっても、貴方を倒すのは私ではありません...!誰かが...必ず貴方を粛清してくれる!」
ポイズンヒドラはその言葉を聞き入れ、暫しの沈黙の後に高らかに笑いだした。
「くははははは!...そうか、逃げ腰のつまらんやつだと思ったが面白い。気に入ったぞ...力の器としては十分。貴様は...我の力の礎にしてやろう...。どうなるかは...貴様次第だがなっ!!!!」
その瞬間。空間を切り裂くかのような裂破の様なものが、サイバーの体を貫いた。
「かっは!!!」
今までに味わった事の無い痛みだった。痛みを表わす例えが思いつかない。この世で味わえる痛みの中でも最大級ともいえるその痛みに、サイバーはその場で屈みこみながら苦しんでいた。
「...な...なにを...」
「ふふ...感じるか?心雲の流れを」
鼓動が...早い。脈打つ度に体を引き裂くかのような痛みが体中を巡っていく。じゅわじゅわと体が沸騰してかのような感覚を、その身で感じていた。
「...はあ...はあ...」
熱い。体中が。
「なあに。どうせ殺すなら貴様の心の雲行きを見届けてやろうと思ってな..。大したことはない。これから貴様はこの死に損ないを救う為に町はずれの医者を尋ねに行くのだろう?
本当にこやつを信愛し、守るだけの力があるというのなら、この一本道を構わず前に進める筈だ。例え貴様が...」
ポイズン・ヒドラの次放つ言葉は、サイバーの痛みをより深くさせた。
「その道を一歩進むたびに、己の命が削られようとな」
「...!?」
「助かりたいのなら...貴様がその力を受け入れる事だ...受け入れ、目覚め、我の為にその力を振るう...ネビュラとなって...な」
「...ま、待って!!」
辺りは閑散としていた。
というより始めから何もなかったかのように、そこに龍などは存在していなかったかのように。そこにいた痕跡が無くなっていた。
それでも...。
砂煙一つ立ち込めず、それでも幻想かのようにして消え去ったその主の顔を。サイバーは薄れる意識の中で、はっきりと覚えていた。
[5]
[5]
「....はあ...はあ...」
もう息をするだけで精いっぱいだった。
制御出来ない己の痛覚に屈し、ただ情けなく涙をボロボロと流すのが精いっぱいだった。
何かに縋ろうともここは街はずれの森の道。
普段誰かが通る筈もなく、誰かが助けてくれる事もない。
「...いかな...く...ちゃ...」
さっきまで冷え切っていた地面の温度が、温かく感じる。
「いかないと...」
自分を奮い立たせようと口に出してみるが、体は言うことをきかない。
前に進まなければならない。例えどれだけ苦しい思いをしようとも、父を救うには、この修羅の道を通り抜けなければならない。
「お...とう...さん...おかあ...さん...」
いつもは返される優しい声も、ただ木々がこすれ合う不気味な物音のみが返すだけで、そこに温もりも優しさも無かった。
「...あれ...」
もしかしたら、何か大事な事を勘違いしていたのだろうか。
その温かさも、温もりも。何もかも。
実は本当は偽物で、偽りの日常で、この道を歩き続けてきた自分の可哀そうな妄想の世界だけ話だったのかもしれない。
ありもしない日常を作り出して、なんとか生きる為の鼓舞していただけなのだろうか。
自分に父も母も存在していなくて。
本当は歩く事自体、何の意味も持たないのではないだろうか。
「死んでも...なにも...」
負の感情が数珠繋ぎになって連なっていく。一つ考えれば次に来る言葉も当然絶望的なものばかりで、その無意味な自問自答は常に暗闇の中のキャッチボールで行われる。
あまりの苦しさと辛さにサイバーは分からなくなっていた。
生きて、いいのだろうか。
もしかして、生きていては駄目なのではないだろうか。
そもそも生きていて、この先に何が待っているのだろうか。
もう、死んだ方が―
世界が、クラく、そまっていく。
ナニもかもが、クラく―
「リエラ...」
暗く光の一筋も差し込まない。
そんな暗闇のどこかで、誰かがサイバーの名前を呼んでいた。
[5]
「ただの風邪...ですね。大丈夫。すぐに良くなりますから」
白衣を着た白髪のメガネをかけた男は、そっと苦しそうに息をしている赤子の頭を撫でる。大事そうに抱えている母は、心配そうな眼差しで医者に問いかける。
「本当ですか...?でもこの子...昨日からずっと息切れしてて、それにずっと苦しそうにしてて...ただの風邪なんかじゃないと思うんです!」
「...そう...ですね」
「そうですねって...。お願いします!どうかこの子を...!」
一瞬辺りが白く染まる。
何かが光ったのだろうか。一瞬眩い光が見えた錯覚に陥った赤子の母は辺りを見渡す。
だが、辺りは変わらずチープな明かりだけで照らされており、薄暗い部屋には皆無のようなその眩さは、先程の光は気のせいだと感じさせた。
「...ほら」
「...え?」
男の目線に誘導され、抱えていた赤子に目線を落とす。
赤子は先程までの息苦しさが嘘かのようにして安らかに寝息を立てている。触った様子、熱も幾分引いている様だ。
男はそっと微笑むと、ハンカチで赤子の汗をぬぐってやった。
「明日にはすっかり元気になられてますよ」
その後、町外れの医者であるその男は、笑顔で子連れの親子を見送る。
母は大事そうに息子を抱きかかえながら、そっと、男に頭を下げた。
「...」
通り過ぎた風が髪をかき分ける。邪魔そうにかけていたメガネをそっと外すと、白衣の胸ポケットにしまい込んだ。
男の青く透き通った目が、より鮮明に映し出される。
靡く髪を逆らうようにして、横を振り向くと、風に乗せるようにして呟いた。
「...この世ならざる神の悪戯...今のは病気などではなく...」
赤子を撫でた右手をじっと見つめながら、静かに先程の光景を思い出す。
「ヴィトラ...其方まさか...」
その瞬間、続く言葉をかき消すかのようにしてはっと顔を上げる。
先程の親子が帰っていった村へ続く道ではない。もう一方の大きな街に出る方の道から、何かの物音がしたからだ。
「...なんだ...?」
眼を凝らし、暗闇にへと伸びている道に心眼する。
何もない平坦な一本道に見えた黒い影。
「!?」
そこに見えたのは、少女が苦しそうに倒れこんでいる姿だった。
[6]
[6]
白髪の男が急いで駆けつけると、そこにはもう生きているのも不思議なくらいに肌が変色した、体の一部が黒い何かで侵されている少女の姿があった。
その少女の白い肌とは対照的な、どす黒い雷雲のような色合いが肌の半分程度を侵食し、少女が必死に息をするのに合わせてその雲は蠢いていた。
「...大丈夫ですか!?しっかりしなさい!!」
うつ伏せの少女を抱え上げ、顔を上げさせた。
少女は苦しそうに息を漏らし、その呼吸をする為の口を動かすだけで精一杯のようだった。
「一体何が...!どうされたのですか!」
「...おと...さん...」
「お父さん...?父に何かされたのですか!?」
少女の目が開く事は無い。
言葉を発するだけでも相当な気力を使っているようだ。
「おとう...んを...たす......」
「...!父に何かあったのですね!!...しかし、その前に貴方を...!」
男の袖を、細い何かが掴んだ。
「お願い...私の...かぞ...」
く...と発音をはっきりとさせぬまま、少女の息が静かに止まる。
「...しっかりしなさい!」
このままではこの少女の命が危うかった。
ここから病院にへと連れ込むどころか、今すぐにでも何か処置をしなければならなかった。だが...一体何故この少女はこのような事になったのだろうか。何もわからない。分からなければ手の下しようがない。
この少女を救う手立ては...何か...。
白髪の男の脳裏に過ったのは、先程の親子の姿だった。
赤子に纏わりつく禍々しい黒いオーラ。
それは決してこの世のものではなく、だが確かにこの世のものである力。
神が造りし、神の悪戯。
「...まさか...」
嫌な予感が的中するのを感じた。
あの赤子は何かの病気になどかかっていなかった。
普通の医者があの赤子を見ればただの風邪だと言い渡し、原因は突き止められないまま、やがてその子は死に至っていただろう。
存在するが、存在を認めれない。
そこにあるがそこにない。
神が持つ力には、神の力でしか抗えない。
この力なく倒れこんでいた少女には、その面影が強く残っている。
「...そうか...やはり...やはり其方が...!!」
白衣の男は目を引きつらせながら、白衣の中からペンダントを取り出すと、それを力強く引きちぎった。
その瞬間、みるみるして白衣の男は姿形を変えていく。
白い毛並みに透き通った蒼眼。
天から授かったのかと思わしき美しい白翼は、広がるのと同時に大地に風を起こした。
―白龍
美しさをそのまま体現したかのようなその姿は、先程の闇を纏った神とは打って変わり、まるで光をそのまま表わしたかのような、そんな姿だった。
「...ヴィトラ...!!!!其方!!さては禁忌を犯すというのか!!!!」
白龍は雄たけびを上げる。
その声はその子の主を中心に円を描き、天を泳ぐ雲をかき分けた。
地響きに近いその揺れは、街の者達にへと伝わっていく。
だが、彼らに不思議と不安や恐怖は無かった。
ただただまっすぐに心を突き抜けていき、その光は皆の心の闇を晴らし、照らしていく。
サイバーにも、その光は届いていた。
「...」
目を開くと、そこには先程の龍とは違う、白く、煌めいた、輝かしい龍がいた。
何かに怒りを向けているらしい。
何かに対して必死に思いを伝えようとしているらしい。
何かを心から憎んでいるらしい。
だけど―
「あたた...かい...」
その怒りは、きっと誰かを守る為のものなのだろう。
その思いは、伝えるべくして伝えられるものなのだろう。
その憎しみは、きっと誰かの明日を変えていくのだろう。
サイバーは、そっと光に手を伸ばした。
「...私にも...誰かを守れる力が...あれば...」
倒れこんだ後もサイバーは起き上がり、必死に歩き続けた。
もう亡き母の為に。もう息を引き取った父の為に。
サイバーは分かっていたのだ。
もう、どれだけ歩いたとしても手遅れだと言うことを。
もうどれだけ歩こうと、あの頃の日常はもう戻らないという事も。
それでも。
「私が...歩いたって...」
少しでも―
「何も...なかったとしても...」
どこかのちょっとした未来が―変わるのなら。
[7]
[7]
眩い光の中で目が覚めた。
鳥のさえずりと、風が木々の隙間を抜けていく音が小さく聞こえる。
体は重かったが、それでも上体を起こすことはできた。
「...」
辺りを見渡すと、そこは薄汚れた病院のようだった。
白い毛布を掛けられ、服は清潔な白い服に着せ替えられている。
ふと手を見ると、その甲の一部は黒ずんでいて、まるで肌に雲が流れていくかのように静かに動いてた。
「なあに。貴様の心の雲行きを見届けてやろうと思ってな..」
毒の神と称したこの世ならざる存在によって、サイバーの体に異変が起こっている事だけは察していた。だが果たして何が起きているのか...何が起きたのかは、何一つ分かっていなかった。
「...目が覚めましたか?」
揺れる布地のパーテーションの奥から、扉が開く音が聞こえた。
はっとなり、その声の主を見る。
白髪の青い目をした長身の男が、サイバーの方を心配そうに見ている。その格好から、この病院の医者なのだろうと察した。
サイバーはこくりと首を縦に振ると、その男に問いた。
「あの...父は...」
男は顔には出さずとも、あからさまに反応を示した。
その...から続く言葉が無いのを察すると、サイバーの目から自然と涙が溢れていた。その様子を見て男は悔しそうに言葉を続けた。
「...私が駆け付けた時には...残念ながらもう...お二人は息を引き取っていました...。相当な重体です。おそらく、もう貴方がその場所を離れた時には既に...」
「...そう...ですか...」
やはり。何もかも無意味だったのだ。
あの歩いてきた道は、ただサイバーを苦しめていただけで。
それに。大切な父に、無駄な希望を与えていただけで。
何も意味を為さない行動だったのだろう。
「すみません...私の力が及ばず...」
白衣の男は拳を強く握った。そして悔しそうに、唇を噛みしめていた。
その光景にサイバーは動揺し、慌てて問いかけた。
「ど...どうして謝られるのですか...。もう手遅れだったんですから...どうしようもないでしょう?」
「...しかし...」
その様子から、どうやら白髪の男には何か心残りがあるようだ。
医者は決して霊媒師などではない。死者の声に耳を傾けられるわけでもなく、ネクロマンサーのように死者を蘇らせることだって叶わない。
サイバーは、その純粋無垢な優しさを振るう白衣の男の言葉に、少なからずの違和感を覚えていた。
「...お二人...?」.
あの時の無残で惨たらしい光景が蘇る。
思い出したくもないが思い出さずにはいられない。おそらく一生脳裏にこびりいていくであろう。黒き過去を。サイバーは思い返していた。
おかしい。何かが...。
「でも、貴方の両親は...」
「あの...」
「はい...?」
聞くべきかそっとしておくべきか。
だがサイバーは、こみ上げる疑問を、男に投げかけずにはいられなかった。
「何故...私の親が分かったんですか?」
[8]
[8]
男は訝し気にサイバーを見つめるのと同時に、その言葉の真意を理解する。
「何故って...それは勿論...」
白衣の男は何かの言葉をかけようとした後に、そっと口を紡いだ。
先程までの鳥のさえずりが、遠のいていくのを感じた。
サイバーは自身の疑問を補足するようにして言葉をつけ足していく。
「あそこには...沢山のお方が亡くなられていました...。そこに私の父もいましたが、だけど...貴方には誰が私の両親かなんて...分からないではないですか」
「それは...貴方にそっくりなお二人がいたものですから...その方がご両親かと...」
「それに...」
それに―。
「私...母がそこにいたとは、一度も口にしていません...」
男はただ動かなかった。動かず、何かを考えこんでいるのか。それとも考える事をやめたのか。ただただサイバーの凛々しい姿を見つめ、その場に立ち尽くしていた。
サイバーもその無言に何かを感じ取ったのか、静かに目を伏せ、男の返答を待ち続ける。
「あそこで見かけたご遺体は...貴方のご両親だけでした」
サイバーは一言返事で動揺を表わす。
「...え?」
忘れもしないあの光景。
積まれた死体の山々に添えられた両親の姿。
あれだけの夥しい量の死体がいながら、遺体はサイバーの両親だけだったという。納得が出来ない顔つきのサイバーを横目に、男は言葉を足していく。
「私が駆け付けた時にはもう...すでにご遺体は貴方のご両親だけでした...。心雲に侵されていた他の者達はきっと...先に毒になって、この世から体を抹消されたのでしょう...」
「しんうん...」
あの毒の神が放った言葉の中に紛れた言葉。心雲-。
「一種の...その、病気のようなものです...貴方も...その被害者のお一人であり...末期患者です...」
サイバーはそっと袖をまくり、肌を流れる暗雲を見つめた。
不思議と心持は穏やかだった。もういくつもの恐怖を痛切に感じたからだろうか。慣れてきたとでもいうのだろうか。
当人が思っている以上に冷静に、男の残酷な言葉を聞き入れていく。
「じゃあ...私は...その心雲という病気で死ぬのですか?その方達と同じように、毒になって...」
「そんなことはさせません。...私が必ず貴方をお守りします」
「...無理じゃないですかっ...!」
サイバーは口調を荒げた。
「どんなに頑張ったって...駄目だったじゃないですか...!」
「...!」
サイバーの悲痛な叫びは、白髪の男には重く、そんな少女の心を救う言葉を見つけるのは...難しいものだった。
「...貴方の苦しみを完全に理解する事が出来ません。けれども...」
「すみません...暫く...一人にして頂けませんか...」
白衣の男は、無言で小さく首を振ると、踵を返して扉にへと向かっていった。
「暫く...歩く事は出来ないと思います...まずは身体を休めて、それからゆっくりと今後についてお話していきましょう...」
サイバーの反応は無かった。
一人になったその病室で、ぽつりと言葉を呟く。
「...お父さん...お母さん...」
ここまで歩いてきたあの道すがらも、そう言って前に進んできた。
「ごめんなさい...」
サイバーは深く心の中で後悔していた。
あの時、私に力があれば。
勝ち目がないとわかっていたとしても、逃げずに、戦うことさえ出来ていれば。ただただ失うだけではなく、何か小さな未来が変わったのだろうか。
私は―父を守ることが出来たのだろうか。
力が、あれば。
チカラー。
「あれ...」
奇妙な感覚があった。生まれて感じたことの無い、感じる事無く失われていく自我を補填していく何か別のものが、体中を巡っていた。
『...だ...れ?』
「」
『誰か...いるの?』
「...リ」
繰り返される自問自答は、例え口にしなくても自分の心の中で完結される。
「貴方...誰...?」
これはただの確認行為だ。話さなくても、心の中で思っていればそれでいい。
サイバーは理解した。
―私の知らない誰かが、心にいる。
[9]
[9]
白衣の男は揺れる明かりの下で考え込んでいた。もう既に心雲の症状としては末期とも言えるサイバーの事。そして、その現況とも言えるpoisonmad・hydraのことを。
塵のかかった眼鏡を吹いて、そっとかけた。
嫌なものは見ない性分だった。あの過去を境に、男は戦う事をやめ、全てを投げ出し逃げ出した。
全ては愛しき者を償う為に。全ては、己の過ちを清算するために。
だが奴が動いたとなればそうもいかない。
大好きな民の為にも、己が力を振るい、己の力で守らなくてはならなかった。
これまで身を潜めてきた代償が、こうして人々に降りかかっている。
「...」
ふと気配を感じ、椅子を回して後ろを振り向く。
気がついたらそこには、病室で休んでいたはずのサイバーの姿があった。
「...大丈夫なのですか?体は...」
髪を下にだらりとさげ、その隙間から見えていた目はどこか虚ろだ。何かをぼそぼそと話しているかのように口を小さく動かす。そして―
不気味に、笑った。
「...貴方...何故...」
「...あはは」
白髪の男は察した。この少女の身に、よからぬ事態が起きている事を。
ガタリと椅子から立ち上がり、少し距離を取る。そうだ。おかしい。この少女は―
「何故...歩けるのですか...?」
サイバーはひたひたと床を歩く。体の半数は心雲に侵され、その少女の繊細な足も例外ではない。普通なら、もう立ち上がる事さえ困難な筈だ。もしかしたら二度とその足で大地に降り立つことだって不可能なのかもしれない。だけどこの少女は、あたかも当然かのようにして、その場に立っている。
「何故って...受け入れたから...」
心雲に侵されたサイバーの片目は、どす黒く淀んでいた。だが、その瞳の奥には何か別の意思が住み着いているかのように、決意に溢れていた。
「私馬鹿だった...こんなに近くにあったのに...なんで気が付かなかったんだろ。運命を覆すくらいの強大な力...私の...私だけの力...」
「...待ちなさい...貴方...まさか!!」
一歩距離を詰めようとしたその男の頬には、鏡を見なければ気づかないくらいの小さな切り傷が出来ていた。
「っ...これは...」
身の危険を感じ、詰めていた距離を身を引いてまた戻す。サイバーは得意げに不敵な笑みを浮かべてみせる。
全てを理解した。想定外というより、考える事さえ放棄していた
サイバーは毒の神より授かりし力を受け入れ、そして従えたのだ。本来は毒に侵されこの世から記憶以外の存在を抹消されていくはずだった...。そんな運命を辿っていく心雲の犠牲者だが、サイバーは違った。
神の力をその器で飲み込み、覚醒した。
「...TYPE...ネビュラ...」
サイバーは毒の神より宿された、TYPE:【ネビュラ-nbl-】に目覚めていた。
ヴァイト&
ヴィンド
婚約編
―ああ。無常だ。それに残酷だ。
この世の真理を知れば知るほど、ため息交じりに息が零れ落ちていく。
退屈な日ほど平穏であり安寧であるとそう知ったのだが、ヴァイトにはその思考が理解できなかった。
いや、理解できなくなった。
ヴァイトは、知ってしまったのだ。
この世の中がどれだけ腐り落ちており、どれだけ善義や情けが無駄なのであるかという事を。
ヴァイトには愛人がいた。と言っても、御曹司のヴァイトに権限はなく、人生における重要な分岐点程、まず求められるのは親の指図だ。
親と親の都合による政略的なものであり、当然。その中に二人の意思など組まれることはなく。ほぼ強制的に二人組での生活は始まった。
風が吹きこぼれ、日を浴びた草木のような自然色が強いカーテンがゆらゆらと靡いている。ヴァイトは、その窓辺に腰かけると、退屈そうに窓の外を眺めていた。
ヴィンドは、ヴァイトの手に添えられていたティーカップにそっと温かい紅茶を注いだ。ヴァイトは手の温もりに気が付くと、小さなため息を混じらせ、彼女を見つめた。
「...いらぬと言った筈だ」
「...私の自慢を振るわせて頂きました」
「知らぬ」
ヴァイトがハエをのけるような目つきで、ヴィンドを睨みつける。
それに対し、彼女はそっと。慰めるような眼差しで返事を返した。
「貴方がお望みであれば...」
ヴィンドが少し寂し気にヴァイトの手からティーカップを引き抜く。
少しの震えが二人の間で伝わってくる。水面には小さな波が立ち、そしてやがて消えていく。
「...情が。なんの意味を持つ」
「...?」
ヴァイトは、気が付いたらぽつりとそう呟いていた。
やがて自分の漏らした言葉が失言であったと理解すると、はっとなって窓辺に視線を移した。
「...過去の...話でしょうか...」
ヴィンドが、心配そうにヴァイトの腕に触れる。
答えを待つまでもなく、ヴァイトは苛立ちを隠しきれずにその手を払いのけた。
「私に触れるな」
「...しかし...」
「貴様との婚約。それは形だけのものにすぎぬと何度言わせる」
「...私は...」
ヴィンドは吐きかけた言葉を、ぐっと口を塞いで飲み込むと、ヴァイトに再度問いかけた。
「...私はそんなに信用ならないでしょうか」
「当然だ」
「じゃあどうすれば...!貴方は私を認めて下さいますか?」
焦りともとれる前のめりな姿勢で、ヴィンドはヴァイトに詰め寄った。
ヴァイトは表情を一切変えず、ただただ目の前に映り込む美しきその女を物のように眺めている。
「...貴様は、綺麗すぎる」
静かに時が流れていくのを感じ、ようやくその言葉を反芻して理解する。
ヴィンドは少し顔を赤らめると、慌ててヴァイトから顔を離した。
「...す、すみません...私とした事が...」
呼吸を整えながら、今一度ヴァイトの言葉を脳で理解していく。
「私が...その...綺麗というのは私にとって勿体ないお言葉ですが。...何故、その...。私がそうであってはならないのですか...?」
「汚れるからだ」
ヴァイトの前髪は、小さく靡いている。
彼の曇った眼差しを誤魔化すかのようにして、ちらちらと映り込んでは、また隠れていく。
「白きものは黒へ...。それが美しければ美しいほど、汚れる様もすさまじい。心が澄み渡っていればいるほど、心は曇り。雲がかっていく」
「...私は、貴方が思っている様なそんな...」
「貴様は空のような存在だ。澄めば澄むほど後で曇りが訪れる。光さえも句切る。そんな、邪悪や穢れをまだ知らない。だから、貴様はその先を見た時に何もできない」
否定をしようと思ったその意志も、何故かヴァイトのその何か思い気な表情な瞳を見ていると、その余地が無かった。
ヴィンドは、ただただ悔しくも、その言葉に頷きで返すしかなかった。
「...私が綺麗なのが全ての原因でしょうか」
「そうだ」
「私が穢れを知るのであれば...。私が曇りがかったとしたら、貴方は振り向いて下さるのでしょうか」
「...」
ヴィンドは、ヴァイトにゆっくりと歩み寄ると、そっと背中から抱きしめた。
「...離れろ」
「愛しています」
「くどい」
ヴァイトは、ヴィンドの腕を退けると、地面にへと突き飛ばす。
力を入れるまでもなく、華奢な彼女の体を払いのけるのには、片手でも十分な力だった。
「私は知った。お前が知らないようなこの世界の腐りきった未来を」
「...」
ヴィンドは体を起こすと、ヴァイトに掴まれた腕をさする。
「なら...腐りきった世界に未練などないでしょう」
「...」
「これまでの人生。貴方が何を思い、何を見届けてきたのかは存じ上げませんけど...。この世界に未練を残しているからこそ、真に美しきものは目もくれず、自分で決めつけた未来にケチをつけておられるだけなのでしょう!」
ヴィンドは、打ち付けた衝撃で青く変色した腕を変色させていた。ヴァイトはそれを見つけると、ようやく表情を一瞬曇らせる。
「私は、美しくありません。貴方が思っている以上に。ただただ純粋に。私は私でいたいだけなのです。ただ一重に、貴方の傍にいられる私自身である為に」
「政略結婚に。何を馬鹿なことを。そもそもの他人同士で、たった数日同じ部屋で共にしただけで、貴様は一体私の何を理解したというのだ」
「いいえ...」
ヴィンドは、震える腕に力を入れ、自身の胸元にてのひらを寄せる。
「貴方を求めたのは...私自身です」
一瞬の静寂の後、ヴァイトはヴィンドに言葉を返す。
「...どういうことだ」
「親同士の取り決めという体でしたが...。本来、私のわがままによって今回の婚約の取り決めは行われました。私が、貴方に恋をしてしまったのです」
「...貴様が...何故...」
「私は...。貴方によって救われたのです」
「...まさか...」
ヴァイトは目を小さく泳がせると、口を手で覆う。
そんな馬鹿な...と呟くと、ただ無言で。静かにヴィンドは首を横に振った。
「貴方が国の為に寄付し続けていた資金。そのとんでもない額は、全てこの国を愛し、そして人々を思うが故の行いでした。ですが、そのお金は...」
「全て。この国の反逆の為の軍資金に...充てられた」
「...」
―ヴァイトは、裕福な家庭に生まれたことは間違っていない。
だからこそお金には一切困ることなく、上級だからこそ民と触れ合う機会も与えられなかった。ヴァイトには、仲間と呼べるものが誰もいなかった。守るべきものも、何もいなかった。
だから、ヴァイトは誰かの為になることをしたかった。
どんな些細なことでもいい。この国の貧富は深刻な問題だ。だからそれを少しでも補える。国の者に光を与えられる。そんな存在に。少しでも近づきたかった。
だが、それは全て愚策だった。
中途半端な援助は、やがて与えられた者に対する不満を募らせた。
時に、いや、大方不幸は他人と比べられる。不公平感は、そういったものから当然湧き上がってくる。
だから、他人の幸せが今のこの国の市民にはあってはならないものだったのだ。
ヴァイトが平民に渡したお金は、決して平等な額ではなかった。
裕福とは言えないが、決して生活には困らない者。当然そういう者もいれば明日のわが身を案ずるしか道がない者だって多くいる。
だから、ヴァイトはそういった観点で、それぞれの人に対する適切な額を手渡していった。適切といえど、決して最適ではない。そういった意味では、そのお金が必ずしもその者を救うほどの額かはいささか不明と言えた。
それが、全ての始まりだった。
金は、金の無いもののヘイトをかき集めた。
そして団結させ、多少力の有利な者から資金を奪い取ろうと襲い掛かる。そそれは繰り返され、やがて目標は高く、上り詰められていく。
国の資金庫。
その本拠地にへと。
これまでの国に対する不満が合わさり、ヴァイトの資金によって得た金で力を得たと勘違いをし。
そうして、暴動は起こされた。
ヴァイトの手によって、望まぬ争いは起きてしまった。
この世界は、善や情けが人を変える。
汚れていく様は、ありのままの人間の様だ―
滑稽そうに、ヴァイトは笑う。
「...無駄で、余計な考慮がこの国の終焉を加速させた...」
手で目を覆うと、暗闇の中で瞳を動かす。
「私は、この国を滅亡に追い込んだのだ」
「いいえ...そんなことはありません」
「現にそうなった」
「よからぬ考えを持ってしまった者の一部がそうなってしまっただけです」
「それを生み出したのが私だと言っている!!!」
「生み出したのはそれだけではないでしょう!!!」
暗闇だ。ただの。
だけど、掌の隙間から確かに見える。零れてくる光がある。
「貴方のそのお心遣いで...救われた者もおります...」
ヴァイトは掌をゆっくりと離し、掠れている視界に目を向ける。
その先にいたのは、真剣な眼差しで見つめている。ヴィンドの姿だった。
「私は命が絶えかけておりました」
―隙間風など当たり前の、木造と言うとまだいわれはいいがただただ木の木片を重ねて作っただけの即席の家で、うすい布を引かれた布団とも言えない何かの上で苦しそうに藻掻いている少女の姿があった。
少女は部屋の暗闇の一角をただ茫然と眺めて、気だるそうに時の流れを感じていた。
その様子をただ心配そうに見ている親も、二人で何度も咳ばらいをしながら虚ろな目で一人の少女の安否を見届けていた。
そこに、ある少年が現れた。
「...君は...」
少年はその家の悲惨さに目を開くと、首を力強く振って手に持っていた袋を男に差し出した。
「親には内緒だから。これだけしかあげられないけど...」
そういうと、少年は颯爽と踵を返してその家を後にした。
その袋にあったのは―
「私は...その時与えられた資金で、親から私の病気に効くと言う薬を授かりました。もう私なんかよりもボロボロだったそんな親が最後に。涙を流しながら喜んで私に薬を飲ませました」
「...」
ヴィンドは、ヴァイトの手を握りしめた。
「貴方の思いが...今の私を繋いでくださいました」
「...だがどうして...」
「ええ。...私はこの家系の者ではありません。あれから病気の看病してくださった親の死後に、私はただただ。貴方に恩を返すことだけを考えておりました。だから今のこの家に押し入り、頭を下げて雑用として働かせて頂きました。そして私を認めて下さった主が、子を授からなかった代わりとして、私を跡継ぎに選んでくださったのです」
ヴァイトは衝撃を隠せなかった。
あれは、少年の頃の、言わば幼き頃の思い当りだった。だから計画性などなく、それでも純粋な心で。この国の力になることを陰ながら望んでいた。
その結果は、望まぬ形となった筈だった。
「確かにこの世界は汚れております。今も尚...。でもそれは、貴方が起こしたきっかけではなく。ただ起こされるべき事象を足早にしてしまったに過ぎません」
だからこの世界は残酷だと。つまらないものだと決めつけた。
「貴方のお傍にいられるのは、貴方がこの汚れた世界に、一筋の光を与えて下さったからです」
でも。
「愛しております...セラァスド...」
ヴァイトは力強く唇を嚙みしめると、うつむいた。
「私がこの先、貴様を汚さぬ保証がどこにある」
ヴィンドは微笑むと、ヴァイトの唇に唇を重ねた。
「...!」
「...残念ですが...」
その瞬間。
激しい水音が耳元で響き渡り、小さな粒子がヴァイトの頬を伝った。
何事かと辺りを見渡すと、そこには茶色い染みを高貴な白服に塗りつけ、頭からびしょぬれになったヴィンドの姿があった。
ヴィンドの体は紅茶まみれになっていて、服からは小さく湯気が立っている。
代わりに先程残した筈の、ヴァイトのティーカップはすっかり空になっていた。
「私は、既に汚れております」
ヴァイトは想像もなさなかったその異様な光景に釣られ、高らかに笑う。
ヴィンドも釣られて微笑んだ。
風は尚カーテンを揺らして空を巡る。
その風はどこに行くのだろう。行く先も知れず、たださまよっていくのだろう。
時には駆け足で、もしかしたらゆっくりと。
でも結局未来は。時の流れ全てに任せていくだろう。
今出来ることは、ただ風の調べに耳を傾けているのがお似合いだ。
あるかないかもわからない。そんな眉唾な風の調べに。
崩壊編
二人は無事婚約を果たし、結ばれる。
幸せをかみしめていたヴァイトだったが、やがて転機が訪れる。
それは、ヴァイトがヴァイトとして目覚める。
決定因子としては残酷な運命だった。
国の反逆罪として次々と関係者が摘発されて処刑されていく中、ヴァイトもその光景を複雑な気持ちで見届けていた。
「...」
「またそんな暗い表情で外を見られて...」
ヴィンドは、ヴァイトに紅茶を注いでいく。
「...すまない。だが、どうしても...な」
「何度も申し上げておりますが、貴方のせいでもなく。むしろ悪人と呼ぶべき存在を貴方が見つけ出したのです」
「...悪人...奴らが...」
「...ええ。国に反旗を返すなど。これは悪と呼ばれても仕方がないことでしょう。治安の維持の為には、そういった不穏な輩は当然罰を与えていかなければなりません」
「...」
ヴィンドの慰めの言葉にどうも腑に落ちないヴァイトは、椅子から立ち上がるとローブを脱いだ。
「...出かけるのですか?」
「ああ...ちょっとな」
「こんなご時世に...しかも貴方のような名の知れた方が外を出歩いたら」
「問題ない。帽子と眼鏡もかけていく」
ヴァイトは出かける支度を済ませると、思い出したかのようにヴィンドが注いだティーカップを口に運ぶと、かちゃりと音を立てて置いた。
「すぐに戻る」
「...お気をつけて」
扉が閉まると、静寂が辺りを包む。
ヴィンドは、開きっぱなしになっていた窓をそっと閉じると、ティーカップの淵をなぞるようにして残った紅茶を眺めた。
「...本当に、お気をつけて」
と、小さくつぶやき。
―笑った。
曇りがかった空だ。決して天気は良好とはいえない。だがどうしても気になっていた事を見届けずにはいられなかった。
ヴァイトは正体を明かさないよう帽子を深々とかぶり、少し度の強い眼鏡で姿を誤魔化していく。
街のゴミ箱ではボロボロの服を着た徘徊人が漁っては辺りに捨てていた。
排水溝から出てくる水も、なんだか黒々しく汚い。
「...げほっ」
ヴァイトはなんだか胸の苦しさを感じると、咳込んで立ち止まった。
最近体の調子が良くない。何かよからぬ物でも口にしただろうか?だがそれもヴァイトという銘家に限ってあり得た話ではない。
ただの風邪だという事をそっと頭の中で願うと、ヴァイトは再度足を進めていく。
行先は決まっていた。
どうしても、確認したかった事だ。
ヴァイトにはこの予感が何かよからぬことを示唆しているような気がしていた。だが、そう思ってしまった以上。その先を見届けなければ気が済まなかった。
「...」
ヴァイトが訪れた場所は、
「...ここ...だったな」
ヴィンドのと出会った、あの木片で紡がれた質素な家だった。
暫くはどこで彼女と出会ったかが思い出せず、なんとか薄れた記憶の中を掘り下げて思い出した。
ヴァイトは生唾を飲み込むと、ほぼほぼ当時と変わらないままの家の外観を見つめ、扉代わりの板をゆっくりとどけた。
「...!げほっ!!」
その瞬間、ヴァイトの鼻孔に強い刺激臭が襲い掛かる。
思わず顔をしかめ、呼吸を確保するために扉から離れた。
恐ろしい匂いだと言えばまだいい、これは狂気だ。
意を決し、口元を袖で覆いながら、家の中を覗き込む。
そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
「...何故...」
そこには、救われた筈の。救った筈の、ヴィンドのなり果てた姿があった。
すっかりと骨と皮になりきっており、何故か腹や腕。また足の一部などが失われている。一目見ただけではわからないような酷い有様だったが、顔の面影や髪色が自然とヴァイトにヴィンドの現在の美麗な姿を彷彿とさせた。
訳が分からなくなり、後ろにゆらゆらと足を引きずりながら下がる。
事実が理解できずにいた。受け止めきれずにいた。
だが、どうしても納得できない事実だけは感じ取れていた。
あの時、少年時代のヴァイトがこの家に訪れた時。
見た筈なのだ。
苦しそうに藻掻いている。一人の少女の傍ら。部屋の影でただ茫然と座り込んでいた。
もうひとりの、しょうじょのすがたを。
「...見てしまいましたのね」
その声の主は、はっきりとヴァイトの後ろから響き渡った。
耳元にそっとささやきかけるようにして。静かでお淑やかで優しいその声の主は紛れもなく。ヴァイトのよく知る、愛した妻の声だった。
「...ミア...」
「聡明な貴方なら...いつかこの真実にたどり着くと、私はっきりと分かっておりました」
「何を、隠している...」
ヴィンドは、いつもと変わらない微笑みをヴァイトに向けると、肩にそっと顔を近づけた。
「...私は、双子の姉妹の...妹です」
「...どちらが...」
「あの時、部屋の隅で腰を据えていた。...物語の役者にさえ映らない。もう一人の方です」
「...じゃあ、ここにいる...無残な姿の者は...」
「私の、姉です」
そう言うと、ヴィンドはヴァイトの頬にそっと唇を添える。
温かい。だけどいつもよりも生生しい何かをヴァイトは感じ取り、薄っすらと冷や汗が流れるのを感じた。
「...いつもの事ではありませんか」
これは、人間として当然持つべき、直感的な恐怖だった。
「ねえ...貴方...。何故そんなに事実を疑うのです?」
「疑うも何も...貴様が、何かを隠蔽し、私に接触したのは紛れもない事実ではないか...」
「ええ...私は貴方に事実を隠し。そして正体を隠し、今ようやくこうして、貴方と本当の意味で二人きりになれました」
ヴァイトは、その意味を理解できなかった。
だが、その瞬間に体中に痛みという言葉では間に合わないほどの苦痛が襲った。
「...ぐっ!!!」
ヴァイトは、思わずその場に膝から崩れ落ちた。
「ミア...何を...」
「ずっと...私はこの日を待ちわびておりました...。セラァスド...。貴方に、こうして長い苦しみを感じさせられる日を...!!」
ヴィンドはそう言うと、ヴァイトの顎をさする。
眩む視界の中で見えた景色は、真っ黒く、毒々しい、禍々しい、そんなヴィンドの不気味な笑顔を滲み出た世界だった。
鼓動の高鳴りが、耳元で叫ぶようにして聞こえている。必死に胸を押さえつけ、落ち着きを取り戻そうとしたが、ヴァイトの抵抗は空しく、苦しさで体を地面に預けるしか道はなかった。
「貴方がここに来て、そしてこの家に残したお金は、この家族を崩壊させるのには十分な額でした。」
「...はあ...はあ...」
「あのお金の使い道を、まず決めました。何に使うか。何に利用するのが一番有用な使い道か。そして、親の結論は」
ヴィンドの長く美しい髪から覗かせたその瞳は、いつものそれではなかった。
「私の姉である死にかけのフィンを見殺しにし、私達三人が生きていく道を選ぶことでした」
ヴァイトは返事を返すことが出来なかった。その力さえも、今失われようとしていた。
「フィンは苦しみながら、助けを求めながらも、親に見捨てられて次第に動かなくなり、やがて冷たくなり死に絶えました。私はその光景を見つめていることしかできませんでした。あの優しかった両親の「闇」を見てしまったのです。もう見てしまったら、見て見ぬふりは出来ない。なかったことには出来ないと、そんなこと分かっていましたから。
そして、貴方によって授けられた少しの裕福は、我々両親の欲を更に肥大化させていきました。フィンの臓器を売りさばき、そしてしまいには食糧の代わりとして、姉が料理の一部に使われました」
失われた体の一部が丁寧に裁かれていたのは、腐敗したからではない。
金として...裕福を更に裕福に掻き立てる為に、「利用」されたのだ。
「一度外れてしまったレールは、もう元には戻らない...。私はただ、もうどうしようもなくなっていたその景色をありのままに受け止めていきました。家族の愛が崩れていく様を、ただ黙って見届けていくしか方法はありませんでした。そして」
ヴィンドは、国の反逆者の重要人物として、殺処分の指令が出されている一覧をヴァイトに見せつけた。
「私の狂ってしまった、だけども掛け替えのない唯一の家族は、この間、この国の騎士によって殺されたようです」
赤い線が、ただただ無常に二人の名前に引かれていた。
悪い予感は、きっとこの指令書が更新されたことに関してだろう。
「じわじわと...まるで微量の毒を毎日少しずつ摂取されて侵されていく、そんな貴方の体のように...私の家族は...貴方の幼稚な思い込みによって!!!壊されていきましたのよ!!!!」
ヴァイトは、もう既に呼吸をするので精いっぱいだった。
ヴィンドのその心からの叫びも、ただの脳で受け止めてただその場で理解はしていなかっただろう。
だが、それでもヴァイトは零れ落ちていく笑みを止めずにはいられなかった。
「...透き通った世界が、私にももう一度どこよりも美しく見えた時があった...それが、貴様といた唯一の時間だ...」
「...」
「それがどうだ...蓋を上げてみれば、どれもなにもかもひどく濁っていて、澄み切っていた川は深く濁った底なし沼ではあるまいか...」
「...ええ」
「ミア...」
「...はい」
ヴァイトは、ただ切実に思いを告げた。
「私に向けてくれた...あの純粋な笑みも...。喜びも...悲しみも...何もかも...それは...全て私に復讐を誓うための...プロセスにすぎなかったのか...」
ミアはただ純粋に、汚れもない笑顔をヴァイトに見せつける。
「...だから、申し上げていたではありませんか」
―「私は、既に汚れております」と。
ヴァイトは、ただこの世界を空しく受け止めた。
自ら撒いた浅はかな情や義理で、自らの首を絞め、最後は毒によって侵され死んでいく。やはり、自分にはお似合いの終わりではないか。
これが、この世界の真理だ。
腐り落ち、あるべきものは人間の誇るべき貪欲な「自己防衛」だ。
誓いは裏切るためにあり、救いとは破滅の為の準備段階に過ぎない。
晴れた空は、曇りがかる悪天候を呼ぶための段取りで。
人間は、終わりを迎えるべきの、利用材料に過ぎない。
「...心は、曇る為に」
ヴァイトは、そう自然と、嘆いていた。
そして、
「その為に...我が...来た」
ヴァイトではない誰かが。
ヴァイトの体を使い、喋っていた。
不敵な笑みを浮かべ、既に死に至るべき筈の体をゆっくりと起こす。
「...心地よい曇り加減だ...。もはやこれは、快楽に等しい...」
「...どうして...もう立てる筈は...その毒は!もう致死量を過ぎた筈じゃ!!」
ヴィンドは驚き、思わず異変を見せたヴァイトから間を取る。
「...ああ...この程度の毒...我にはご褒美に過ぎないと知らぬのか。愚かな人間だ...。だが逆に感謝させて頂くとしよう。この毒によって、事実的にこの男は、我がいなければ死を待つのみの体となった。
この曇りきった好条件の男に、信仰を預ける条件としては十分な利害条件だ」
ヴァイトは、その声の主に心で問いかける。
「...貴様は...何者だ」
「我は毒の神。ポイズン・マッド・ヒドラ其方に力を与え、そして我に力を与える存在が其方だ...」
「...何を...」
「信じきれぬ気持ちは否定しないが、残念ながら我を失った時、其方がいくべき道は毒に侵され死にゆく未来だけだ。貴様にはもう交渉の条件はないと思うが...」
「...」
「このまま腐り落ちて、死にゆくのがお望みなら、それはそれで其方の生きざまではあるが」
ヴィンドは恐怖し、震えている。後ずさりながらこの場からなんとか立ち去ろうとしていた。
「まず、我の力を示そう」
ヒドラはそう言うと、取りついたヴァイトの体を使い、ヴィンドにすたすたと近寄ると背中に回った。
そして、手をヴィンドの腹に突き出す。
「...!!!」
ヴィンドの腹を突き破るようにして手はめきめきと入れこまれていく。
「なあに。こやつが真に純粋な心を持つのなら、力は発現せず毒は浄化されていく。心の曇りもない、其方が望むべき世界を創り上げる者であればな」
手を抜き出すと、ヴィンドはひどく苦しそうにその場で藻掻いた。
腹には傷一つなく、まるで手が透き通っていたかのように綺麗だった。
「心雲は...人間の真の欲を示す」
ヴィンドは暴れまわる。
のたうち回り、そしてやがて倒れこんで動かなくなった。
だが、その瞬間。
ヴィンドを基準に辺りに毒々しい草木が生繁始める。
棘を帯びた茎が空に向かって不規則に曲がりながら進み、そして平凡な地形を飲み込みながら
ヴァイトのその光景に絶望することなく、ただただぽつりとつぶやいた。
「なんて...美しいんだ...」
あれだけ真っ白く、汚れの無い愛する我が妻だと思っていたそんなヴィンドが、これだけ醜く禍々しい物体に変身してしまっていた。
それはまるでこの世の真理を現存化し、言葉を形にして具現化したかのようであった。
ヴァイトは、何故か今目の前で起きている壮大な裏切りに。満足してしまっていた。
「...もの凄い心の曇りだ...この女。これだけの憎悪を抱え込みながら抑え込んでいたとはな...。だが、副作用の方が勝っているようだ。」
「この世界でどんな存在よりも美しく純白が、こうして汚されていく...。そんな魅力的な事が起きていいのだろうか...」
汚れや穢れがそれ以上であれば、もう、汚れていく事はない。
初めからすべてが終わっているのなら、この世界はこの美しさを裏切ることはないのだ。
はなから期待などしていなければ。
初めからこの世界が終焉を迎えるほどの醜さや人間の憎悪や醜さに晒されているのなら、何もかもが真実であり、裏切りこそが真相だ。
だから人は、初めから、純白であればあるほど、汚れていく様も、素晴らしいものだ。
エイジ
BADエンド
ーエイジは炎に憧れていた。
きっかけはある勇者の輝かしい炎を見てしまった事が全てだ。
奴隷であるエイジはただ言われるがままに鉱山で働かさられる毎日を過ごしていた。だがある日、鉱山に奇声を発しながら暴れまわる魔物が侵入したことにより彼のTYPEとしての物語が動き出す。
魔物は狂ったように鉱山の壁を叩き壊していた。補強された壁や床。その全てを親の仇のようにして壊して周り、暗闇だった鉱山に風穴を開けていく。
鉱山の中はパニックになり、多くの奴隷が泣き喚き「救世」を求めた。
そこで現れたのが、勇者のセレクターである。
セレクターは鞘から剣を取り出すと、そっと額に剣先を近づけ、何かを願った。その刹那、剣に薄っすらと炎が宿る。
誰も傷つけたくない。だけども守るためには戦うしかない。そんな彼の優しい意思が投影されたかのようなその炎は、優しく、暗闇に満ちた鉱山を明るく照らす「希望の光」となった。
エイジはその炎をただただ眺めていた。
その炎に対し、何か言葉にする時間さえも勿体ない。
その炎に対して何か感想を述べることさえ申し訳ない。
そんな不思議な感覚が彼を取り込んでいた。
セレクターは目を閉じると、静かに詠唱を始める。
そして再度眼をそっと開いた時に、彼の剣はメラメラと全てを焼き尽くすかのような炎を纏った。先程までの比になんてならない。戦いを決意した青年の決意の炎だった。
セレクターは剣を力強く握ると、地響きと共に魔物の周りの地面が赤黒く変色していく。そして、地面からふつふつと火花が飛び散っていった。
【ヘクトバーン】
そう静寂の中で呟くと、セレクターは魔物に対し剣を大きく振った。
剣先から荒々しい豪炎が蠢き放たれていく。魔物に直撃したヘクトバーンは体を焼き尽くし、悲鳴が収まった後も体中に燃え上ってやがて静かに煙を上げながら鎮火していった。
この鉱山でその一部始終を見届けた者にとって、セレクターの勇姿に憧れを持った者は少なくないだろう。
彼を救世主とそっと感謝の意を示し、彼自身を神様とそう呟いたものさえいた。皆が「セレクター」を見て、彼に対して気持ちを高めていた。
だが、エイジは違った。
セレクターではなく、憧れ、抱いた思いの対象は
「どんなものでも終らせる力を持ったー炎だった」
この炎によって包まれた世界はきっととてつもなく素晴らしいものだろう。
この炎で終える世界は、どんなに美しい終わりなんだろうか。
この炎は、皆に平等に、等しい「最後-END-」を与えてくれる。
奴隷、平民、国王。ー勇者。
立場や地位なんて関係なく、等しく、ただ正しい終わりを与えてくれる。
炎は、なんて美しいのだろう。
こうして、彼の偉大なる炎を目の当たりにした彼は、炎で世界を熱く染め上げることを願った。
かつて両親に見捨てられた彼は、自分の憧れを必ず叶える不屈の意思を持っていた。それは心の曇りとは違った、恐ろしいほどに執着した情熱とも言える心の意志だった。
必ずこの世界を自分の理想に染め上げる。
エイジは着実に心の中に溢れ上がっていく炎のような熱に翻弄されていった。
やがて「熱心」の信仰神であるバレッタの力を貰い受け、TYPEとして目覚めたエイジは、かつてのセレクターのように自身が炎を自在にコントロール出来るに気がつく。
「心熱」(※心の情熱が熱く夢や目標に向かっていく力が強い程力を与えられ、TYPEとして目覚めやすい信仰。)
これが、彼の夢の実現へのスタート地点となった。
バッドエンドでは、このまま世界を炎に包み込ませて世界は滅びる。
TRUEエンド
トゥルーエンドでは、セレクターの対の存在とも言えるナンバーと、ハッカーを救出するために合流したキャッシュと出会うことが必要条件となる。
ナンバーはエイジと同様に、鉱山で働く奴隷少年の一人だった。
だがナンバーの場合の物語の分岐は、セレクターの炎でもセレクター自身でもなく。
倒された、魔物自身と出会う事だった。
TYPEとして目覚めたエイジとナンバーは対面し、それぞれの信念を抱えて、戦いを起こす。
片方は世界を包む「炎」を「理想」で満たすために。
片方は世界を包む「影」を「正義」として残すために。
二人はスキルをぶつけ合い、己の信念を交え、ぶつけていく。
既に強大な力を蓄えたエイジの前にナンバーは劣勢であり、当然苦戦を強いられたが、エイジに対しあるスキルを放つ事でエイジの戦いの勢いが突然衰え始める。
それは、エイジにとって何か既視感があったからだ。
そのスキルだけは、今ようやく手にした自分の夢を叶える力でも到底及ばない何かがあると体感的に感じたからだ。
キャッシュは、ナンバーに頼まれていた通りにそのスキルをメモリーに変換し、そのスキルの記憶。記録を、エイジの脳内で再生した。
―その瞬間、エイジは、父や母と過ごした時間を思い出した。
もうすっかりと忘れた。
いや、忘れようと努力した、過去の辛く幸せな毎日を。思い出してく。
父の視点を、追いながら。
ー父と母は国の反逆者であった。
国に反旗を振るう軍に所属し、国に対し力を持って抗議を行っていた。
戦死する者もいれば、罪もない犠牲が生まれることもあった。
だがそんな暴動もやがて鎮圧にへと向かっていく。
鎮圧を確実のものとする為にも、国王は反逆に関わった者全てを見つけ次第処刑するように、騎士に命じた。
当然。反逆に関わっていた父と母も騎士から命を狙われる立場となった。
毎日死に脅かされ、待つ未来は、少なからずの存命か、殺される道だけだ。
大好きな息子を守る為にも、我が息子のエイジを守る為にも、
少しでも苦しくない道を進ませるしか方法はなかった。
愛を見せてはダメだ。
愛を彼に残してはダメだ。
きっと寂しくなるだろうから。
きっと、親を思う優しい子として、この先の未来を辛く、苦しみながら生き続けなくてはならないだろうから。
エイジは、鉱山の主に引き渡された。
父はエイジに情を見せなかった。
泣き喚き、なんで!と何度も何度も連呼しては父と母に手を伸ばしていたエイジに振り向くこともなく、涙を悟られる事もなく、奴隷として、彼を鉱山にへと引き渡した。
大好きだからこそ。「大切な息子」を出来るだけ残酷に見捨てるしかなかったのだ。
エイジを捨ててから僅か、逃亡の最中で母は騎士に命を奪われた。
終わりは儚くあっけなかった。
剣で胸を一突きされ、苦しむ時間を与えられぬまま喉仏を切られていた。
母の最後の言葉は、何も聞けなかった。
息子と妻。
家族や大切なものを何もかも失ってしまった父は、悲しみに暮れた。
やがて積もっていく後悔は心を曇らせ、心を毒々しく染め上げていった。
父は。「心雲」されていく。
そして、そんな中で出会ってしまった。
街の一角で静かに息を潜めていた父は、スラム街である者に声をかけられる。
「心雲」を崇拝するカルト信仰。ポイズンヒドラの信仰者に。
父は、カルトの誘惑に負け、やがて「心雲」に手を出してしまう。
まるで麻薬のようにして、夢中になって体にその力を取り込んでいく。その瞬間だけは、苦しさや現実から目を背けられるような気がした。
見なくても良いものに勝手に雲りをかけてくれるような感覚だった。
「心雲」は、心も体も何もかもを壊していく。
数日に渡り父はみるみる体を蝕まれていく。
やがて体の一部が腐り落ると、メキメキと生え始めた禍々しい魔物のような擬態に体と侵され、脳内にまで侵食を始めた心雲によって、日に日に理性を失っていった。
父の姿は完全に魔物とし、最後は人間としての道理さえも失われていった。
それでも、どうしても。
息子のエイジの事だけは忘れられなかった。
父は雄叫びを上げる。
街に響き渡った薄気味悪いその悲鳴は、父自身に一番大きく聞こえていた。
最後に。彼を自由に。
息子に。もう一度光を。
どうか、大切な家族に、
前を進むための、一つの「勇気」を。
もうすでに人間としての理性を失った父は、まるで帰巣本能かのようにし、ただ己の意思に従うままに、エイジを捨てた鉱山にへと向かう。
賢さの微塵の欠片もない。正しさも間違えだってそんなものは一切考えにはなかった。
ただ、ひたすらと壊した。
鉱山を閉じていた檻も、壁も。めちゃくちゃに暴れて、暗闇に光を照らした。
狂っていたのは間違いなかった。とても人間らしくなく、悪であり、完全に魔物としての振る舞いだって事も百も承知だったことだろう。
だが父は、間違っても誰かを傷つけることなどけしてしなかった。
何故ならそれだけが、父の中に微かに残っていた、人間として最後の理性に従った行動だったのだから。
父は奴隷を開放する為に。エイジに対する過ちに許しを請うかのように。
鉱山を破壊し続けた。
セレクターによって倒されるその瞬間まで。
父は、自分自身と、戦い続けた。
―エイジは、頬を伝う涙を流す。
記憶と共に、炎なんかよりも温かく、そして尊い。
家族の温もりをもう一度知る。
ナンバーは、膝をついてがっくしと座り込んでいたエイジの手を取り、そっと言う。
「君の父は、きっと最後まで正義にはなれなかった」
父は、正義ではなく、悪だ。エイジにも、それは分かっていた。
ナンバーは「でもー」というと、言葉を続けた。
「きっと彼の行動は正義という名の光に落ちた、影そのものだ。
その影はきっと誰かの影になり続けていくことを望んでる。
光として前を照らすことは出来ないって分かってる。
だから。...大切な者の背中を支え続けていけることを、願ってる」
エイジは、キャッシュによって再ネーミングされた、ナンバーのスキルの結晶。父そのものの力を授かる。
ナンバーのTYPEとして目覚めることとなったきっかけ。始まりの力を、エイジは二人から託された。
エイジはそのスキルをぎゅっと抱きしめると、くしゃくしゃになった顔で、大粒の涙をこぼしながら、呟いた。
「...これは、僕の「勇気」だ」
一方で、セレクターは国の市民を守る為に立ち上がっていた。
「心雲」によって魔王と化した存在に立ち向かい、その強大な力の前に屈することはけしてしなかったが、窮地に立たされていた事は間違いなかった。
エグゼは致命傷を負い、その傷は死の寸前にまで追い込まれていた。
勇者と魔王の戦いは、敗北を喫するかと思われた。
その時、誰かがそんな彼らの元に静かに近寄る。
その誰かは、かつてセレクターが他に与えたような優しい炎を体に揺らめきながら纏っていた。
その誰かは、かつてのセレクターのような、覚悟を決めた情熱に満ちた炎で照らしていた。
エイジは、エグゼにそっと耳打ちする。
自分が、勇者と共に戦うと。
エグゼの意思を継ぎ、自分が「炎」となり、勇者の行く先を照らす、「炎」となり、真っ暗な道を勇気で照らした、そんな「炎」を。
今度は。自分自身がと。
彼の優しい覚悟を目前にし、エグゼは優しく微笑むと、エイジに力の全てを託した。エグゼ自身がエイジに取り込まれていく。半分神であるエグゼが、ただの人間であるエイジと合わさり、「水妖精」と「炎妖精」のハーフともなる。
ー「半炎神-EgzeAge-」となり、セレクターの側に立ち続けた。
確かに「勇気の炎」は一人の少年の未来を照らし、繋いだのだった。
クラッシュ
前編[1]
[1]
極寒の地には神秘を凌駕した大気を纏っていた。
外へ出る者の動向さえも制限するような、この世の地の奥行に制限を設けるような、冷気のバリアがこの村を包み込んでいる。
木々を簡易的に並べて屋根を作り、斜めにする事で雪を自然と地面に落とす。
そんなスタイルの家屋が点々と並んでおり、この村の景色を形成している。
そんな村の奥地。立派とは言い難いが比較的大きい家に、村の者達が集まっていた。
皆神妙な顔つきで、真ん中の焚き木の前で列を成して座っている。
「...また、この日が来てしまいましたね」
「...ふむ」
この村の長なのであろう。気持ちばかりの暖を取るための焚き木と、小さくか細く炎を揺らす松明の前で、長く伸びた顎髭を摩りながら、周りの者たちにへと視線を向けていく。
村長に見られた者は、皆縮こまり、屈みこんで。まるで自分だけは見ないでほしい。とでも言わんばかりに視線から各々外れていく。
その失礼な行動に長は気にも留めず、むしろ慈愛の眼で村の者たちを一人一人見つめていく。
「...皆の者」
その言葉で、ぴたりと。村の者たちの動きが
―止まった。
[2]
[2]
赤子である少女は。まだ名前が無かった。
勿論、産まれたらこうしよう。もしこの先生きていくのであれば、こういった夢を抱いて生きて行ってほしい。という親の思いはあった。
だが、それが形として実る事は無かった。
「...皆、誰も傷つきたくはないのだ」
先ほどまで集会の隙間を埋めるようにして賑わっていた村の家の一角は、長と、そして二人の男女のみとなっていた。
静寂...とは言い難がったが、それでも呼吸の僅かな一つ一つが体を流れていくのを感じるくらいには、この辺りは静まり返っていた。
そんな中で、長は言葉を繋いだ。
「わしも...そしてお前達も。誰も、同じく。そして誰もが思いを持って、今日までこの村で生きてきたことだろう。...だから、わしもお前達の気持ちは重々承知しているつもりだ。..そして、その気持ちを組んだ上で、わしはもう、この決断をするしか方法がないのじゃ」
長は、冷たく凍えた地面に手を添えて、頭を下げた。
「...村長、おやめ下さい...」
「申し訳ない...酷な決断だ...。そうだろう。わしは悪魔だ。産まれて間もない。これから多くの希望を持ち、きっと多くの関わりを経て、生きていく、一人の少女の命を...奪うと言うのだから」
「...村長」
「すまないお前達...」
隙間風が、ドアや窓の隙間から縫うようにして部屋に入り込んでくる。
だが、そんな冷気など、三人は気にも留めていなかった。
きっと、この子の母なのであろう。
なんの傷害も起きないと確信しているのか。それさえもまだ感じる事のできないそんな成長前の女の子が、安心した顔つきでその腕の中で眠っている。
すやすやと小さく、そして可愛げに寝息を立てていた。
二人はこの先に続く言葉を、もう分かっていた。
村長のこの異様な行動も、消して異端などではなく、むしろ人間としては正常で、むしろそれ以上に、人間味が、溢れていた。
「...どうか」
『dear.ア○○
―名前も無い貴方へ送ります。
本当にごめんなさい。貴方へ名前はあげられません。
貴方の名前は、決めていましたが、あげるときっと、
もう。踏み出せないでしょうから。
私は、最低な親でした。本当にごめんなさい。
貴方には名前も無い、まだ思いもない。だからこそ、一番誰もが傷つかない方法でこの選択をするしかなかったことを、お許し下さい。
だけど、』
「この村の為に...これから生きる者の為に...」
『貴方はこの村の英雄になります。』
「その命...を...どうか...」
漸く、寒さを感じるようになってきた。
実感。というよりも、もうわかった。もう、わかったからと。現実を受け止めていくほかない事を完全に理解したことにより、隠そうとしていた感情や、精神が戻ってきたのだ。
床で添えている村長の手は、赤く、そしてはれ上がっていた。
「...もう、頭をお上げください...」
答えを出すのは簡単だ。出すのは当人とはいえ、本人ではない。
この赤子に、その答えは出せない。
だから、その子の代わりにも、頭を下げるしか、もう道はないのだ。
『ア○○。貴方は、』
―『この村の神様の「生贄」として。
この村で生きていく者全ての、礎になります。』
残酷で非道だ。
そんな事は、わざわざ言葉にしなくとも誰もが分かっていたのだ。一人の神がこの村を支配し、この村を、科学では到底証明出来ない壮絶な冷気で包み込んだ。
その瞬間から、
全てが始まり、終わったのだから。
[3]
[3]
村の外れにある、誰が建てたかも分からない小さな神殿の行く道筋には、一つの氷像が立っていた。一つなので当然両脇、ではなく道の片側右に。左にも台座だけは用意されているが、何かを建設された様子には見受けられなかった。
その氷像は獰猛なる猛獣にも見える。だが、確かに神話性の何かに溢れている。
そんな奇妙だが神々しい佇まいには、誰もが見た瞬間に息を飲むことだろう。
「ライオン」に近い。
だが結局、それが一番簡潔に表すのにふさわしい。
「...ここだ」
最長な列を成した行列の先頭で、祈祷師は何かを唱えて頭を下げる。
皆、それに合わせて波が伝うように頭を下げていった。
「...この先は、二人しか入れません。貴方と、その子のみです」
「...はい」
赤子の母は、列の後ろを振り向き、頭を小さく下げた。
皆、神妙な顔つきで、同情ともとれる眼差しを向けていた。
「気の毒が過ぎるな」
「まだ、言葉も話せない赤ちゃんだっていうのに」
「かわいそうに。誰かが変わればいいのに」
そんな野暮な言葉が飛び交うことは、けして無い。
誰もが心に留めていた。その言葉をいうのは無責任他過ぎないのだから。
理解して、反芻する。
この子の命を奪うのは、我々だ。
つららが入り口を覆うようにして形成されている。
神殿の入り口の堀文字には「神:シャル・バイト・ミラージュ」と、大きく名前が刻み込まれていた。きっと、この神殿の主なのであろう。誰もが目にしたことがないが、だが確かにその神は存在する。
母は、赤子と一緒に、ゆっくりと前に進んでいく。つららの入り口を抜け、
大きく開けた空間にへと訪れた。
この神殿に、入れるのは本人と、お連れの一人。そのルールを破ることは、この神殿の禁忌に触れる事となり、村は文字通り消滅することになるだろう。
その実態を知らぬ、謎多き神に、この村の生権を握られているのは、わかりきっている事だ。
大きな空間とは不釣り合いな、生贄を捧げる台座がちんまりと設置されてある。
母は赤子の顔をもう一度のぞき込んだ。
愛に溢れ、そして今日まで抱きかかえてきた。この感情を言葉にする事は、きっと自分を苦しめる事になるだろう。
母は、にこりと優しく微笑むと、赤子の頬に唇を添わせて、そっとつぶやいた。
「愛しているわ。これからも、ずっと」
赤子は、相も変わらず安らかに寝息を立てている。
母は台座の上に、静かに我が子を置いた。
ここを出たら最後。もう、この子の顔は拝めない事だろう。
「...神様」
母は、凍える唇を噛みしめた。
「貴方の望みはお叶え致します。私が最も愛した我が子を、生贄としてご献上致します」
許せなかったのは誰だったのだろうか。
このやるせない思いは、誰に向けてのものだったのだろうか。
「だから...どうか...」
どうか。
「せめてこの子を...私達の代わりに、
私達以上に愛してやっては下さいませんか...」
誰を愛したかったのは分かっていた。
誰に向けてへの愛情だったのかも明確だった。
だから、せめて愛してあげてほしい。
もう、わかったから。
「この子の未来に...私達がいなくても構いませんから...」
この世界の理不尽を飲み込んだとしても、自分を含めた村の人間が、この子に憎まれるべきだってことだって、
もう痛いほどわかっているから。
「だから...どうか...」
憎まれるべき対象も、恨むべき、憎むべき者は誰だって一層構わないから。
せめて、
誰かが代わりに、
愛してあげてはくれないだろうか。
[4]
[4]
神殿に成していた列は消えた。
いや、元に戻った。足跡さえも消し去る積雪によって、面影は全て消し去られていた。
ただ一つ、確かに訪れた変化はあった。
「...」
台座に眠らされた、この一人の赤子だ。
「...今回も、上玉だな」
その赤子に視線を向けている一人...いや、一匹...、表す言葉が不明瞭なそれによって、この言葉は向けられた。
「しかし、人間とは弱いものだ。そしてだからこそ付け入りやすい他ない。「信仰心」などというバカげたシステムによって我々は統治されているが、たった一つの生贄によって、これ程までに力が増幅されていくものなのか」
「...それほどに、人間の一人一人への思いは優れているという事です」
また一つ、別の何かによって言葉は繋がれた。
ライオンと、トラ。
姿形は一方のライオンは、先ほどまで神殿への行く道にあった氷の氷像のそれだった。というより、そのものだった。
その証拠に、今神殿を見渡したところで、あの氷の像は跡形もなく消し去られている。
ライオンとトラには名前があった。
ライオンの造形のシャル・バイト・ミラージュ、
トラの造形のシャル・バイト・ファング。
各々には神名が付いていた。いや、つけていたのだった。
二つの氷の像は、キシキシと体の節に音を蔓延らせながら、神殿の中を歩いている。
「随分悪趣味な方法で信仰を集めておられるようで」
「何を言う。我々神を崇め、奉られる。それが本来の神としてのあるべき姿ではないか。それが例え生贄という方法だろうが、他の不効率極まりない方法だろうが、信仰は信仰だ」
「それを悪趣味と申しているのです」
「うるさい出来損ないだ。そういうお前はどうやってこの先、神々の世を生き抜いていくつもりだ。信仰心が無ければ...力が無ければいずれ消える。妖精などという下等な身分に逆戻りなど。私はご免被るがね」
ミラージュは神殿を歩き回る度に、ファングを一瞥していく。そして溜息交じりに息を吐いた。
「...そんなやせ細った「信仰心」で、貴様は姉様のような死を、選んでいく気なのか?...無様にも」
「...姉上は、自らの意思で死を望まれました。消して果敢であったとしても、無様などではありません」
「結果は結果だ。「神云抗争」の敗北者。実に愚かではないか。今の世は力を蓄えてさえいれば、確実に生き渡れる。そしてそんな強大な力に歯向かう者のみが、淘汰され、「消されていく」のだ」
ミラージュは高笑いしながら神殿の奥にへと歩みを進めていく。
「ああ、そうだ。その生贄はその辺の雪の中にでも沈めといてやれ。寒くて生きながらえてるんじゃ、酷でこちらも見てられないからな」
「信仰さえ得れば、それで用済みか!!この子も、そして我々を生かしてくれる人間達も...!それは神の有るべき姿として、どうなのでしょうか!!
「...ファング」
「兄上!!」
ファングの怒号とも取れる声の振動が、神殿に反復して響き渡る。
そして再び静寂を取り戻したその刹那、顔だけを振り向かせたミラージュが、冷たく言い放つ。
「当然だ。」
ミラージュの周りに漂っていた空気が、変わった。
ゾクリと、ファングは身を震わせる。
「神こそが偉大であり、人間はその支えにしか過ぎない。常に何もかもが平等なのでは、この世は成り立たないのだ。支配し、そしてそれを成り立たせる。神々によって人間は生かされ、そして神々の為に文明を築き上げていく。それを否定するというのなら、今すぐにこの世の戦いから降りるべきだ。...姉様のようにな。」
前を向いて、そして去り際につぶやく。
「冷徹になれ。...我が妹よ」
「...」
吹雪が神殿の入り口から入り込んでいく。
その影を埋めるようにして、神殿には二つの姿が残された。
ファングと、そして人間達によって、生贄として差し出された、名もない赤子の姿だ。
「...この子の母上の悲痛な叫びを...受け取れなかったのか」
ファングは、この子の母の言葉を全て聞き入れていた。一言一句、余すことなく、全ての言葉に、耳を傾けていた。
少なからず、兄のミラージュの信仰心のお陰で、自分の存在は保たれている。村の生贄の対象は不明確で、この村を突然支配した「謎多き神」という大まかなくくりでしか無い為、信仰の僅かが、ファングにもいき渡っていたのだ。
ミラージュ無くしては、自分は存在しえない。
ミラージュの言葉全てを反論する事は不可能だった。
「...他の道を、選ぶことは出来ないのだろうか」
そう、思っても、ファングにはそれが出来なかった。
ミラージュによって神々は行業な存在だという事が認知されてしまっている。
そんな神が人間に慈悲を与えるように動いたところで、憎まれるべき存在で有ることには変わりないだろう。
既に人間と我々は、敵対同士の構図が完成してしまっているのだ。
下手に動けば、きっと不毛な戦いが始まる。戦いにも及ばない、殺戮が、始まってしまう。
非力な自分には、何かが出来るのだろうか。そう思っていた。
「...」
ただ、何事にも残された「道」がある。
「...これは」
赤子の胸元に、そっと一つの手紙が添えられていた。
とても明瞭であり、清楚な字体は母の愛を文面を見る前から受け取れた。
『dear.ア○○』
親愛なる、ア○○。その続きを、母から赤子に向けて読み聞かせていく。
[5]
[5]
―文面、以降全文。
『親愛なる、ア○○へ。
名前も無い貴方へ送ります。
本当にごめんなさい。貴方へ名前はあげられません。
貴方の名前は、決めていましたが、あげるときっと、もう。
踏み出せないでしょうから。
私は最低な親でした。本当にごめんなさい。
名前も無い、まだ思いもない。だからこそ、一番誰もが傷つかない方法でこの選択をするしかなかったことを、お許し下さい。
だけど、
貴方はこの村の英雄になります。
ア○○。
貴方は、この村の神様の「生贄」として。
この村で生きていく者全ての、礎になります。
納得する筈がないのは分かっています。
勝手に大人達が決めたルールで、自分達が生き残る為に、身勝手に貴方の命を奪う事だっても十分、分かっています。
それでも、これから先も貴方が私達村の者の「英雄」として心の中で生き続けていく事に喜びを覚えていく事でしか、自分を保てる方法がないのです。
何度だって言います。
最低です。我々大人は。
卑怯です。我々村の者は。
でも、本当に愛しています。
こんな世界じゃなければ、
もし、貴方と同じ道を歩める未来がもう一度訪れるのなら、
私は迷わず貴方の手を取り歩いていきます。
私達の決めた名前を呼んで、そして喜びも悲しみも憎しみだって、全部を分かち合って、貴方の思いを理解していく事でしょう。
でも、それは叶いませんでした。
さようなら。大好きな我が子。
愛しています。この先もずっと。
親愛なる、ア○〇へ』
[6]
[6]
文面の違和感に気が付いていた。
というより、名前を伏せたはずであろう○○の前に、何か一度書き記し、消し去った後がある事を。
「...そうか」
名前を決めていたのだった。本当は。
だけども敢えて文面での名前の記載を伏せたのだ。この母親は。一度は書いたが、思いを伏せて、
後で消してから○○へと書き直した。
だが、確かにだが僅かに見えているのだ。○○の前に、「ア」の消し後がある事に。
「...消すなど、野暮ではないか」
ファングは前足を手紙にかざす。手紙の消し後、そのほんの僅かな溝に氷を這わせていった。
ミシミシと紙との軋轢の音を立てて、手紙の○○に氷で文字が浮かび上がっていく。
「...名前が無ければ受け取れない。そしてそれを繋いでいくものだって。
その思いをくみ取る事が出来ないだろう」
たった一つのかけがえのない「名前」が、
思いを繋ぎ、そして未来へと築いていくのだ。
「貴方を今すぐ母上の元へ返す...。
と、言えればそれで良かったのだが、兄上の逆鱗に触れ、それこそ村を全滅されてしまったのでは示しがつかない。
だからせめて、私が母上の願いを聞き入れようではないか」
―『親愛なる、ア○○へ』
これは果たして、「英断」だったのだろうか。
もしかしたら、そ「の」欠「片」にも及ばないのではないだろうか。
果たして、この道は間違っているのだろうか。
兄の罪滅ぼしにはならない。
もしかしたらただの自己満足にだってなりかねない。
でもだからと言って、この可能性に壁を創ってはどうなのだろうか。
壊して、更に道を行く。もしかしたらその先には、この子の母上が目指していた道が、進んでいるのかもしれない。
きっとただの「氷結」であり、こ「の壁」は、脆い。
だってきっと。
全てが「鎮静」したこの世界は、神から授けられた一つ「の衣」をまとっているに過ぎないのだ。
ほんの一時の、一瞬の静寂だ。だからいずれこの世界は変わり、また時は動き出す。
この世界の真理は、
そう全てが決められていて、淘汰されているだけではないのかもしれない。
ならば、
いずれ彼らと和解出来る時も来る。ミラージュの無礼も全てを清算しきって。
その時を信じて、今は変わりにこの子の手を取ろう。
―『親愛なる、アリ○へ』
「...必ず私が、貴方を母上の元へ戻す。
それまでは、私が貴方の名前を呼び続けよう。真の母上が、貴方と同じ道を歩めるその日まで。それまでは、私が貴方の「母親」でさせて欲しい。
同じ愛を持って、貴方にあるだけの「力」を授けよう」
神の掟に背く行為ではないが、異常な行動であることで言えばこれは例外には含まれない。異端であり、異様な光景。
神が人間の子を育てていくなど、起きるべくして起きる話ではない。
だが、けしてそれは駄目ではない。
ファングは、赤子の頬に前足を添えた。体温などは微塵も感じない。
氷の神であるファングには人間ごとき体温など熱にすら及ばないのだ。
せめて赤子が目を覚まさないよう、冷気の膜で、直接氷の温度が伝わらないようにするしかない。
神と人間の子だ。きっと届かないものもある。
だけど、それでも、この言葉だけは、いつまでも変わりに投げかけてあげよう。
前文、略、
中文、略―
我が愛しき、
―『親愛なる、アリアへ』
中編[1]
[1]
先程まで吹雪いていたのが噓みたいだった。
豪雪を超える言葉を旧文明から探し出すか、新たな造語を作りださない他、
あの時の雪の嵐を例える適切な言葉が見つからなかった。
現在の気候は快晴。
...ではないが、かなりの晴天。
山々の葉がちらちらと雫を垂らしては自然の合唱を奏でていく。
木々からは陽光が優しく隙間を縫っては道を照らしていた。
そんなあぜ道の様な細い隙間を軽快なリズムで歩く少女が一人。
地面が雪で積もっているというのに足を取られる様な素振りは一切見せない。そうとう足場の悪い道を行くの慣れているらしい。一歩一歩進むたびに小さくだが鼻歌で音頭を取るほどだ。
「...あ」
少女は何かを見かける。
獣道の窪み。そこに小さく揺れ動く影が見えた。
ザクザクとまだ新雪を踏みしめる。白い息を辺りに散らせながら、足早にそれに向けて駆け寄っていった。
やがて露になるその正体は、少女の存在に気が付くと体をびくりと揺らした。
「グル...グルル...!」
どうやら、白狼の子供がケガをして倒れこんでいたらしい。
ぜえぜえと息を荒くしながら、警戒心を荒わにして、少女を睨みつけている。
見かねた少女はゆっくりと白狼の子供に手を差し伸べていく。
「...ケガ。痛いでしょ?大丈夫だよ」
だが、そんな人間の思いなど今日を生きる事で精一杯な彼らには伝わらない。なんとか声を振り絞り、荒げた声で少女に向けて威嚇を行っていく。
少女は気にも留めなかった。白狼の体に優しく手を添わせ、そっと頭を撫でた。
何をされるかがわからない。最終警告だと言わんばかりに、少女の手を口で振り払った。
「おうちで看病してあげるね」
少女は、白狼の体をゆっくりと抱え込んだ。
―その瞬間。
少女の腕に向けて鋭い牙が突き刺さった。
服と牙がすれる音が聞こえ、やがてじんわりと、服からは血が滲みだしてきた。
酷くおびえている様子だった。きっと何者かの争いに負けたのか、よほど酷い目に合わされたのだろう。少女は、
「...大丈夫だよ」
と、変わらない表情で優しく穏やかに伝えると、やがて小さく、にこりと笑った。
痛くない筈がない。
当然、少女の肉に鋭く突きたてられた牙は、すぐにでも振り払う程の強烈な痛みだった筈だ。それでも少女は微笑んでいた。
「自分は敵ではない。ただ、貴方を助けたいだけ」
そう言葉で伝えなくとも分かるように。少女はただひたすらと、この静寂な時を白狼と共に過ごしていた。
そしてやがて、声色を一切変えずに囁いた。
「...壊れないよ。何も。ただ、守るだけ」
何かが届いたらしい。
次第に少女に食い込んでいた牙が抜け始め、噛む力が弱まっていく。そのまま上目遣いで少女を見つめ直すと、そっと目を逸らして、やがて力なくして少女の腕の中にゆっくりと沈み込んだ。
どうやら、この白狼の子供は、少女のすべてを受け入れたらしい。
「...いこっか」
ゆさゆさと腕に獣を抱え込んで少女は帰路についていく。
重い鞄を背負っており、体が左右に小さく揺れては深々と雪を踏み込んでいく。
次第に情景が変わる。あからさまな境が存在するのだ。少女の目の前に。
上から豪快に滝を流しているかのように。
今まさに世界の境目を創造されているかのように。
チャンク不足を解消する為に、急いで世界を読み込んでいるかのように。
通常の世界と、何かの神秘を持った世界。
目に見えるこの光景に少女は気にも留めず、その境界を足早に跨いだ。
「ただいまー」
その境界を越えた先には、あの神殿が姿を変えずに出迎えていた。
入り口を飾っていたあのつらら達は、多少伸びはしただろうが、8年前と変わらず、あの時のままの姿だった。
ただし神殿には、あらゆる装飾が施されていた。人が寒さで震えないように暖が施され、灯りの代わりには松明が壁に付けられている。誰かが暮らしている形跡は間違いなくそこにはあった。
「...今日も寒いね。ママ」
白狼の子供をそっと台座に寝かせると、よしよしと頭を撫でて、毛布を掛けた。
神殿の奥から、この少女の母親らしき声がフェードインしてくる。
「...おかえりなさい。...あれ。その子は?」
「...ケガしてたみたい。また元気に走れるように看病しようと思って」
少女は深々と被っていたフードを頭から脱ぐと、積もっていた雪がパラパラと地面に落ちていく。マフラーをくるりと回し、そして木で出来たラックにへとそれらをかけていく。
「今日もまた一段と雪の様子が酷いね。堺目なんて雪のカーテンみたいになってた」
「兄上がまた機嫌を損ねているみたい。ちょっと不貞腐れるとこうなのだから」
少女は怪訝そうに振り向く。
「ミラまだ怒ってるの?私、もう一度謝ってくるよ」
「貴方のせいではないわ。何も心配はいらないの」
「...そうかな」
話だけを聞くのであれば他愛もない親子の会話に見受けられる。
だが、これはあくまでこの景観を語らずの話である。
この少女と母なのであろうこの二人...いや、一人と一つは―
「...神様って大変だね」
「ええ。とてもね。...アリア」
―あの生贄に出された赤子だった少女アリアと、
神の母である、シャル・バイト・ファングだ。
[2]
[2]
あの時の赤子であった少女はアリアとしてファングによって育てられ、8年の時を経て今に至る。勿論、ここまで大きくなったのにも大きな障害は存在していた。
まずは兄のミラージュへの交渉だ。
生贄であった人間の子供を自分の手で育て上げる。その許可を貰うためだ。
初めは当然く耳も持たず、ただボットのように「殺せ」と一言呟いては話が終わる。
ただしミラージュにも感情が無いわけではない。特に妹であるファングが1時間毎にミラージュの元へ訪れるわけなのだから、流石に最後は諦めて首を縦に振った。
恐らく納得ではなく、これ以上の否定は面倒事だと、そう感じただけであろうが。
今でもミラージュとの言い合いは絶えない。
お互いにそりが合わないのは当然だが、これまではファングが折れていた部分もあったが、仮とは言え大事な娘の頼みとなっては。それはもう大変なけんまくでミラージュと言葉を交わしては激しく言い合っていた。
今回も、そうなのである。
発端は小さくとも、言い合いの原因があくまで利用価値としての存在に過ぎない下等とも取れる人間の為となってはミラージュも面白くない。「神云抗争」の規約に違反しては困る為、あくまで言葉を交わすだけで留まる事にはなるだろうが、一時怒り狂って神殿の外に一つ、新たな雪山を作り上げる程には内心穏やかでは無い時もあった。
怒りによって、どうやら神殿の周りの天候が左右されるらしい。
「...そろそろ、また始まるわ」
「...そっか」
アリアは、神殿の外を見つめる。最近、神殿の境が広がってきている気がしていた。
そんなことをぽつりと呟いてしまったが為に、ファングが状況を察知してしまったのだ。
「また始まるんだね。村の生贄が」
「...」
二度は無い。
次にこの神殿に備えられた生贄は、ミラージュの手によって殺されてしまうだろう。
だから、ファングは交渉したのだ。新たな方法を探すべきだと。こんな悲しい方法では何も生まれないだろうと。だが返って来る言葉は毎度のものだ。
「下等な人間共に考える手立てなどはない。価値の無い人間一人で10年は生かすと言っているのだ。こんな良心的な規約に、まだ否定を促すというのか...!」
10年に一度という決まりを設けてはいたが、思った信仰を得られずに最近特にミラージュの苛立ちは目立っていた。
一応自ら制定したルールである為、その怒りで村を自らの手で雪景色一色にする事を避けてはいるが、いつこの我慢が爆発するかは分からない。
あの村には、守らねばならない存在がいる。
守るべき者の為に、守らなければならない者だ。
ファングは、深刻な顔つきになったアリアにはっとすると、小さくかぶりを振った。
「...ごめんなさい。今、この話をするべきではないわね」
「...ん?なんで?」
「生贄だなんて。当人だった貴方を前にして平気そうに話すなんて、なんてひどい親なんでしょう。...ごめんなさい。貴方にとっても辛い話だったわ」
「...」
台座に腰かけたアリアは、横ですやすやと寝息を立てている白狼の子供を見つめると、そっと呟いた。
「...優しくなりたいんだ」
毛並みに沿うようにして頭を撫でては、小さくほほ笑みをこぼしていく。
「誰も傷つけたくない。守ってあげることは好きでも。何かを壊してしまう事は嫌い。ママだってきっとそうだから、私を守ってくれたんでしょ?」
「...」
「だから一緒。ママがしてくれたことを、私も誰かにしてあげたいんだ」
胸ポケットから、そっと手紙を取り出す。
紙の端が擦れて、ボロボロにはなっていたが、しっかりと原型はあった。ファングの溶けない氷によって造形されたアリアの名前もそのままに。
変わったのは、あの赤子だった受け取る本人が、その手紙を大事そうに抱えているか。それだけだ。
「ママが私に名前を残してくれたから。だから私は。今もこうして、ここにいられる」
そういうと、ファングは少し悲しげだが、嬉しそうに口角を上げた。
「辛く、寂しい事ばかりだったわ。貴方は...。いいえ。この先だって、もしかしたら、ずっと」
「違う。そうじゃないよ」
手紙を眺めて、満足そうに名前に手を添える。
「私には、ママたちが残してくれた絆があるから。全然寂しくない。今だって、ちゃんと私には、ママがいる」
「...アリア」
「うん。その名前を呼んでくれるだけで、今は十分なんだ」
アリアは小さい声で、呼びかけた。
「...ねー、ロペス」
「...ん?」
「この子の名前。傷も深そうだし、まだ暫くここにいるだろうから」
どうやらたった今、この白狼の子供に名前が付けられたらしい。アリアはロペスの名の付けられたそれを、まるで母親のような顔つきで見守っている。
「素敵な名前ね」
ファングとアリアは互いに向き合う。
そして、小さく首を傾げた。
「こちらこそ」
そう言うと二人は表情を崩して、笑った。
[3]
[3]
「...これ以上...待てというのか...」
ふー...ふー...と荒い息を立てては、目を血走らせている。
見立てが甘かった。神の脅威に屈する人間の恐怖の「信仰心」は測り知れないものだと思っていたのだ。だが、実際はそうではなかった。勿論定期的に神を祀り上げるような儀式を行ってはいるのだろうが、そんなちっぽけな「信仰心」では、満足できずにいた。
「何故...何故なのだ...!何故私よりも...!」
怒りの矛先は、ファングに向けられたものだった。
ミラージュには、ファングの「信仰心」が日々強まっていくのを感じていた。神の存在定義が曖昧であり、余剰にも村人の「信仰心」がファングにも向けられているのであれば別の話だが、それを避ける為にもあの儀式以降、しっかりと氷像でシャル・バイト・ミラージュを大々的に掲げた像を村に創らせた。
つまり村からの「信仰心」は、間違いなく全て満遍なくミラージュの元へ向けられている筈なのだ。それなのに、
「何故あやつに...!強大な「信仰心」が募っているのだ!!!!!」
理由も分からない理不尽に、ミラージュの我慢は限界に来ていた。
何か、ファングが裏で手を引いているのだろうか。そう睨みを聞かせたミラージュだったが、村にへと足を運んだ形跡は見つけられず、しまいには下等な人間な子供一人の育成の為に、全ての時間を投げうって今日まで過ごしてきた。
「信仰心」を集める時間など、どう考えても得られる筈が無いのだ。
ミラージュは荒々しく雄たけびを上げると、烈波とも取れるような鋭い氷の息吹を山に向けて放った。怒りをやみくもにぶつけ、ただ理性を保つためだけに暴れ続けた。
「全ては、あの下等な生き物の生存を許してから...。そこから私の計画の全てが傾いた...!けしてこうなる筈ではなかった...!こうなる筈がないのだ...!ならば、計画に無かったものこそ、この今の忌々しい状態を作り上げた元凶で違いない...!!」
妹ごときに「信仰心」の差で負ける。
それは。プライドの高いミラージュには許されない。
「...やはり、消すしかない...」
不敵な笑みを浮かべて、凶暴な前足を地面をたたきつけた。
「「あの時」のように...!!私が消すしかない...!!」
ミラージュの記憶には、あの時の記憶が蘇っていた。
姉様と呼んでいた、シャル・バイト・クェラ。最後に交わした会話の記憶だ。
そう。果敢などではなく、無様に散っていった。
「神云抗争」によって抹消された、そんな最後を遂げた、一つの神の終わりを誘った。神々の会話だ。
これはけして懺悔などではない。
悪意なき悪意は、ただの純粋無垢なる
―正義だ。
神云抗争規約
―以降、「神云抗争」内規約、「神略」と略す。
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(1)神は世界の安寧の為に、互いに「信仰心」によって力を得なければない。それ以外の「神略」を策略する事を一切禁ずる。人間との共存無くしては、我々は存在しえない。
(2)神同士の戦いはいかなる時にも許されるべきではない。この世界は「人間」を中心に動くべきであり、直接的な神々の介入は禁忌に値する。戦いを望んだ者、それを行動に移した者は「消滅の審判-ロストジャッジ-」を下される。「処刑神」によって戦いを終えた後にその存在は人間界からは抹消される。
(3)「継承」によって己の特性を第三神、第三者託す行為は許可される、消滅の審判を下される前であれば咎められるものではない。
(4)「信仰化-TYPE-」の認定は消滅の審判後に力を失う事となる。正し、「継承」によって特性を第三神、第三者によって引き渡された場合、その力は継続されるものとする。 また、「信仰化-TYPE-」同士の抗争は「 消滅の審判-ロストジャッジ- 」の対象外とする。
(5)この「神略」は、
―霧の神:ヴォイド・デ・ザークによって、一存される。
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